孟子の性善説を通じて「授業デザイン」を考える

授業記録(倫理)

こんにちは。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今日は倫理の授業記録として書き留めておきたいと思います。

人間は性善説なのか?-「四端の心」ってどんな心?-

今日の授業は孟子の「四端の心」を扱いました。

例えば…「みんなの5年間の集大成である看護師国家試験の当日、試験会場に向かう途中に赤ちゃんが井戸に落ちていた。今どき、井戸なんてないけどね…そんな時、みんなならどうする?」と、生徒たちに問いをかけました。

「助ける!」と真っ先に言う子もいれば、
「市役所に電話して、自分は試験会場に行く」と言う子もいました。

私は授業する際、発言の安全性を保証するように気を付けています。
今回も、どんな答えを出しても「そういう考え方もあるね」と発言内容の定はしないようにしています。

 

「四端の心」とは?

孟子=性善説
人は生まれながらに4つの善い心(四端の心)がある。
四端の心=惻隠の心・羞悪の心・辞譲の心・是非の心

四端の心の一つに、「惻隠の心」があります。
惻隠の心とは、他人の不幸を見過ごせない・誰かが困っていたら必ず助けてあげるという心のこと。

「それって誰からも教えてもらっていないよね?なんとなく、自然に身についた心なんじゃない?」と問いかけます。

他にも、四端の心には、羞悪の心・辞譲の心・是非の心があります。

例えば、『「カンニングしている友達がいたらどんな気持ちがする?ー 嫌!許せない。」と他人の悪や自分の不善を憎む気持ちがあるよね。これが羞悪の心だよ。』とか

『「お腹の大きい妊婦さんがバス乗ってきたらどうする?ー譲る。」これが辞譲の心だよ』とか

いつも何気なく行っている行動が実は四端の心の1つなんだよ!と授業で紐解いていきます。

倫理の授業は特に、先人たちの教訓が教科書に載ってるどこか遠い世界の昔話と思いがちです。

しかし、授業で学ぶ内容こそ実は生活の中に、身近にすぐ近くにあるんだよ!ってことを授業では大切にしています。

授業は両思いー双方向の対話がなければ分かり合えないー

 

私の授業では、毎回生徒一人ひとりからアンケートを取るようにしています。

私の学校ではclassiというアプリを使っているので、みんなのアンケートが一瞬で私の元に届きます。
そしてそれをAppleTVに映し出すことで、全員で共有することもできます。

必ず全員の意見を共有することで、「ちゃんと私の意見を読んでくれる人がいる」と生徒は思ます。

私は意識的に生徒の意見に評価はつけないようにしています。
そうすることで、「どんな意見でも発言していいんだ」と安心して表現することができるようになります。

このような活動を通して、「授業ってみんなが参加して、作り上げていくものなんだよ。」「受動的な態度で授業に望むのではなく、能動的に受けなきゃダメなんだよ」ということを体感してもらいたいと思っています。

 

まだまだ、私の授業は完璧じゃないし、常にアップデートしていきたいなぁ…と思っています。
ワクワクする授業者になるぞ!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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